〈寓話〉としての「宿屋めぐり」――〈自分〉探しの旅おすすめ度
★★★★★
以下、感じたこと、考えたことを脈絡なく書きたい。
主人公である鋤名彦名は、偽名を用いては、嘘に嘘の上塗りを繰り返す。太宰の短篇「誰」によれば、名前が多ければ多いほど、大悪党であるそうだ。この説にしたがえば、鋤名彦名は、大悪党であるらしい。
町田さんは、〈自分〉を〈自分〉たらしめているもの、自己を証明するものとは、いったい、なんであるか、ということをこの作品の中で問うているように、自分には見受けられた。
一般的には、たとえば、指紋やDNAなんかを、ある人をその人たらしめる決定的な証拠としているようである。しかし、芥川龍之介の小説「河童」の一節にあるように、たとえそれが同一人物であっても、たとえば、その人が独身者であったときと、妻帯者となったときとでは、彼の存在意義と言うべきか、彼が問われている役割は異なるのではないか。つまり、科学的に彼が彼であることを証拠立てるのは不可能であり、科学的に不可能である以上、彼を彼であると証拠立てるのは不可能なのではないか。
〈自分〉を〈自分〉たらしめている根源とは何であるのか。それは、不滅の魂なのだろうか。魂は、人の体を宿として、宿から宿へと経巡っていく。では、魂は、何を求めてさまようのか。宿? 宿命と言い、宿業、と言う。肉体に魂が宿ってこその命、ということか。魂が肉体に宿すのは、前世からの業、ということか。業、カルマ、カラマーゾフ、キリスト、救い、……
鋤名彦名の主、彼の発する言葉は、イエス・キリストのそれと似通い、彼の行動は、旧約聖書の神のように恐ろしく、いや、どころか、その残虐性はやくざそのもの。彼は自身を諦めたもの、と言いい、鋤名彦名を諦めないもの、と呼んだ。前者は完成されたもの(あるいは、死んでしまったもの)であり、後者は未完成であるもの(あるいは、生き続けるもの)ではないか。
以上、思いついたことを書いた。〈自分〉とはいったい、誰なのか、とことん突き詰めて考えたい人に、おすすめの一冊だ。
文学の勝利おすすめ度
★★★★★
「パンク侍」→「告白」→「宿屋めぐり」と、魂への洞察力はより深く、今までに増してよりグダグダの町田節から時折放たれる真実真正の言葉は今までに増してより鋭さを増し、読了後は心にズシリと相当の手ごたえを感じること間違いなし。
「パンク侍」では、斜に構え偽をなす主人公、「告白」では、ある種の無垢さから運命に翻弄される主人公を見事に描き切りました。そして今作では「主」に怖れをなし忠義を図りながらも、その真意を汲み取ろうとするあまり自分を見失う主人公が登場します。人生とは、生きるとはどういうことなのか。最後には、作者ははっきりと一つの結論を「主」の口より語らせています。しかしそれをどう解釈するか、それはまさにこの602ページの物語を読んだあなたの人生そのものにより大きく異なるものとなるでしょう。主人公が「主」に試されるが如く、読者は作者に試されることになるでしょう。
僕はこの物語を、これから何年かおきに繰り返し読むことになると思います。傑作!
納得の出来
おすすめ度 ★★★★★
今回の発売がすごく嬉しいです
。ファンであれば購入価値は高いかと存じます。
こつこつお金を貯めてでも買う価値のある一品だと思います!