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ゴルファーズ検定

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告白 (中公文庫 ま 35-2)

町田 康
おすすめ度:★★★★★
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何度か読んで、
おすすめ度 ★★★★★

毎度違う自分が読んでいるようで面白い。

変わらない気持ちは
町田さんが見せるこの物語で、力強く人間を支えていくことに私は勇気づけられる。
作家をまるで親友のように感じる。
出会えて良かった。



人々の心理の代弁者、熊太郎
おすすめ度 ★★★★★

全842ページにもわたる大作である。一ヶ月かかって読んだ。
初めのほうは正直に言ってのらくらとした印象を受けるが、主人公・熊太郎が大人になり、女性になかなか声をかけられない性格だと自覚し始めたあたりのくだりから俄然面白くなってくる。
熊太郎の性格を、著者は再三にわたって「思弁的」と書いている。この言葉を読んで思ったのだが、この「思弁的」であることは、なんだか町田氏と重なるような気がするのだ。ストレートに思うことを、頭の中で論理的に組み立ててしまう。そこで何か「これは違うぞ」と思うと、口に出したり行動に移したりすることを踏みとどまってしまうのだ(町田氏はそんな自分自身をエッセイの中で「偏屈」と言っていたりする)。…普通の人なら、こんなことは難なく成せることなのだろうが、熊太郎は思弁的であるがゆえにそれができなかった。
そんな様子からはうじうじしている感じも受けるが、私はそんな人間が愛おしい。いじらしいではないか。熊太郎は“考える人”であったのだ。考えることは人間だけに与えられた行為であり、それをフルに駆使した結果、どうにもならないもどかしさに“悩み”つつ生きた彼は、とても人間臭いではないか。
本作からは、「なぜ人は人を殺すのか」というテーマを追う一作家としての姿以前に、熊太郎に一人間として接していた町田氏の愛情をまざまざと感じる。懸命に熊太郎の気持ちを辿り、その思いを汲もうとしていたのがわかる。私はそんな、町田康という人の真摯な姿勢にこそ、最も胸を打たれたように思う。人がものを書くこと――作家であることとは、こういうことなのだと思った。人間愛がなければ、人間を描くことなどできない。
本作を書いたことによって、町田氏は後世にその名が残る作家となったことは間違いない。
この文庫本のカスタマーレビュー、そして単行本のほうのカスタマーレビューを読んで、涙が出そうになった(うわー、馬鹿ですな)。レビューを書いた人たちの思いだけで、一冊の『告白』という本ができそうだと感じたからである。誰の胸にだって、熊太郎に同調できるだけの心理があるのだ。



歴史に残したい傑作
おすすめ度 ★★★★★

『くっすん大黒』、『夫婦茶碗』、『屈辱ポンチ』 あたりまではちょっとふざけたミニマリズム作家だと思っていた。おもしろいんだけど、話芸の域を出ていなかったと思う。だから短編になる。そんで『パンク侍、斬られて候』を読んで、変わったと思った。おもしろい上に、きゅっと締まるところがある。で、その町田康の今までで一番長い小説。これはもう本当に脱帽である。これだけのイマジネーションと文章力がある作家は、他にいないでしょう。天才です。

本書の主人公は河内音頭のスタンダードになっている、「十人斬」の城戸熊太郎。なんで十人を斬ることになったのか、というのが850ページ延々と書いてあるのだが、全く飽きさせない。緊迫と弛緩のバランスが絶妙である。例えばこんな箇所。

<「そらそうかもしれんけど念には念いうからな。ちょっといてきて」
「さよか。ほないてくるけど人が来たらどないしたらいいの」
「なんぞけったいなことしい。けったいなことしたら人は注意をそらされる。人間の気持ちっちゅうのは一箇所向いたら他のこと聞こえんようなんねん」
「ほならチンチン出して目ェ向いて祝詞いおか」
「それくらいやっといたら大丈夫やろ」>
(p.109)
ある兄弟の会話。ただのあほだが、これは作品中で最も緊迫した場面の一つである。
それで、締めるところはびしっと締める。こういう箇所にはびびっとくる。

<現れたのは獅子頭である。
熊太郎はこれをかぶり、取り付けた紐を襷がけにして身体に結わえつけた。
熊太郎の眼前に内側の虚無が現出した。
雨降る暗い夜よりもっと暗い闇が俺と世間の間にはさまったのだ。はさまっていたのだ。>
(p.748)

世間と自分の間の「暗い闇」。これは熊太郎の独白であるが、天才的パンク作家の感じる屈託を表しているのかもしれない。9割方笑える小説なのだが、残り1割が深い。



町田康はとうとうここまで来てしまった
おすすめ度 ★★★★★

朝日新聞の書評に近代的自意識がどうたらこうたら書いてたけど、「ちょっと違うんじゃないの」と思った。なんというか、そんなええもんちゃうでしょ?単なるええかっこしいのアホですよ、この熊太郎は。
でも、そんな熊太郎と弥五郎を「アホ」とばかり笑っていられるかというと、必ずしも他人事とは思えない部分もあるわけで、それがこの物語のすごいところだ。
弥五郎が妹と分かれる場面。私は不覚にも電車のなかで、この場面を読んでしまった。妹に対してうそを言うことが出来ない弥五郎の不器用さに、涙が止まらなかった。
町田康はこの「告白」のなかで、すべての時代のすべての人間が生まれ持っている業というものを描いている。それを「近代的自我にめざめちゃったかわいそうなボクチン」小説として読んでしまうと、なんと陳腐なお話か。
「近代」なんか関係ない。だからこそ、こんなに読む人の心に突き刺さってくる。
どっちかちゅーたら「近大的自我」のほうが近い思うで。河内やし。
そして、この物語でなによりも重要なのは、読者が結末を知っているということだ。あの陰惨な結末に向けて、熊太郎と弥五郎が吸い込まれていく様子を読者は見届けなければならない。
こんなに悲しくて痛い話を私は読んだことがない。



現代にも通じる、失敗例から学ぶ人生指南
おすすめ度 ★★★★★

自分の考えを相手に伝える言葉をもたない熊太郎の
こころの声が全編に渡り、
細かくかつ論理的につづられている。
もし、熊太郎自身も町田康のように、
言葉と相手を選んで自分の思いを
せめて、小出しでもいいから、
伝えることができたら、
結末のような大惨事は起きなかっただろう。

でも当時においても、
現代においても、
コミュニケーションで使われる言葉が
すべてを語っているのはではない。
誰もが語りつくせぬ自分自身の深い世界を持っている。

それは熊太郎だけでなく、
自分自身もそうであり、
また自分を取り巻くひとたちもそうである。
自分自身でも予測できない内面の世界と、
感じることのできない他人のこころを
照らし合わせながら生きていく。
時には見切りをつけたり、あきらめたりすることも出てくる。
熊太郎は、そして、現代でも
ひとを殺してしまうひとは、
そういうことに逆に潔癖すぎるのではないかと思った。
もちろん、殺人者の中にはもっと私欲にかられて
罪を犯すひともいるから、すべてがそうではないが。。。

まるで自らドツボにはまっていく熊太郎の様子を
追いながら、思わず感情的になってしまう場面も
少なくない。

熊太郎の妄想やこころの声と、
ナレーター役?ともいえる町田康のコメントが絶妙の
ドキュメンタリー作品のようだ。
テーマは硬いが、的確な語彙と笑いを誘う表現が多いので、
耳慣れない河内弁や時代背景もこの長編ゆえになじんでくる。
毎週決まった日にみる連続ドラマのように。

人生うんぬんのハウツー本にはない、
生きることの真理を、熊太郎の人生から知ることができるはず。




買うしかない!
おすすめ度 ★★★★★

全般的に言うと初心者向けだと思います 。ファンであれば購入価値は高いかと存じます。
ご参考になれば幸いです。大変お勧めですよ!!


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